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21冊目『月と六ペンス』/サマセット・モーム

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)

 

初めて読んだのは今から2~3年前だ。パートナーからもらったこの小説は、当時の僕にとっては久方ぶりの小説で、しっかり読み切れるものかと不安だったのだけど、あっという間に読んでしまった。それくらいに読みやすい話だ。ミステリーでもなければ冒険活劇でもないのに、どこかスリリングな人間ドラマが描かれていて、ずるずると物語の世界に引き込まれる。

ロンドンに住む株式仲介人のチャールズ・ストリックランドは40歳で自分の生活のすべてを捨て、画家になることを目指す。妻子をおいて急に出ていった夫を探し出してほしいとストリックランド婦人に頼またのは、語り手である駆け出し作家の「わたし」だ。これは「わたし」がストリックランド本人や、ゆかりのある人物とのやりとり、そして彼らの人生と、場面場面に居合わせた「わたし」の心情を記録したものである。

40歳からのストリックランドは、絵を描くこと以外の一切を犠牲にしてしまったと言っても過言ではなく、絵を描くこと以外の生物的な欲求などすら疎ましく思ってしまうほどである人物として描かれている。自分のことすらもある程度犠牲にしてしまっている、あるいは犠牲にできないことに腹を立てているような人間だ。

ついでに言うと、絵以外のすべてを犠牲にして得られたものは、他人からみると、一体なんだったのかわからない。読みすすめると、このストリックランド、豊かな人生を送ったとは到底思えないエピソードが次々と出てくる。冒頭にて、ストリックランドは生前歯牙にもかけられなかった画家であったが、フランスの評論家の目に止まり、再評価されたといういきさつが説明される。ストリックランドが生きていた間、彼は画家としては落ちこぼれであった。

そういうリスクを承知で、自分のやりたいことに命をかけることができるかと言われると、僕にはできないと思う。死後に評価される芸術家は少なくないが、そんなものになってどうするのだという考えになる。

僕には本を読む以外にも楽しみがある。友人、家族、パートナーとの会話、地域社会とのやりとり、映画鑑賞、音楽制作など。ストリックランドのように、「何か1つに絞る」というのは、よほどのことが無いと不可能だ。

ただ、裏を返せば、一つの物事に集中せずに漫然と生きていて幸せになれる確証もない。むしろ、大事にしなければならないものが多くなって、身動きが取れなくなる場合もあるかもしれない。だからといってストイックであることが幸福であるかと言えば微妙だ。自分の信じているもの以外に禁欲的であるということは、信じているもの、突き動かされるものに縛り付けられているとも考えられるからだ。人生の満足度は本人がどれだけ納得したかという尺度でしか計れないのかもしれない。

狂気とも思える絵への執着を見せるストリックランドと、凡人である「わたし」やその他の登場人物、特に同じく画家で、楽天的なストルーヴェとの対比は見事で、話が進むにつれて異星人のようになっていくストリックランドがうまく描かれている。それに振り回される人間の顛末にも心を揺さぶられる。たった一人の人間であったとしても、「エゴを通す」ということとは、こういうことなのかもしれないと考えさせられる作品だ。