文庫-LOG

世界観を持ち運べる「文庫」を専門に紹介するブックレビューサイト

3冊目『どんな本でも大量に読める「速読」の本』/宇都出雅巳

どんな本でも大量に読める「速読」の本 (だいわ文庫)

どんな本でも大量に読める「速読」の本 (だいわ文庫)

 

『本を読む本』にはじまり、『読んでいない本について堂々と語る方法』を紹介しました。読書ブログということで、最初は「読書」に関すること、「読むことについて議論している本」を取り上げました。今後も、「読む」ということについての本は紹介することがあるとは思いますが、今回で一区切り。

その区切りの最後に、こういった本を紹介するのもいかがな物か、とは思いますが。

宇都出雅巳著『どんな本でも大量に読める「速読」の本』です。

気前の良いタイトルは自己啓発本の特徴ですが、この本もご多分に漏れず、タイトルで言っていることと、中身で言っていることが違います。

僕はこの本を読む前、速読に対して期待に胸を膨らませておりましたが、逆にこの本によって、都合の良い速読は存在しないことを悟ることができました。

本書を読書することによって得られるものは、「速読への絶望」であります。

本書のエッセンスは、次に引用される部分にすべて詰まっています。

 私達が何かを読むときには、これまでになかった自分が蓄えてきた知識や情報、経験などの「ストック(蓄積)」を使って読んでいます。 

「読書慣れ」は「速読技術」に勝る!(中略)いくら速読技術を身に着けたところで、その本に関して何も知らなければ、難しい本は難しい本であることに変わりません。

この本は速読技術の本ですから、「本を早く読む技術」そのものの否定をしてしまったら元も子もない訳です。「音にしないで文字を読む(眺めるように読む)」ですとか、「一読でわかろうとしないで読む」という従来の技術、これは『本を読む本』における、「点検読書」のようなものにあたるものですが、それは使えるけれども、そもそも本を読むには、その本を読むのに必要な知識経験──この本ではそれを「ストック」と定義していますが──それらが非常に重要であるという、当たり前のことを、まず先に教えてくれるという点で、他のインチキ速読本よりも良心的であります。

これは、「フォト・リーディング」やら「フォーカス・リーディング」、脳自体のクロック回転数を上げる「ハイサイクル・リーディング」など数多く存在する胡散臭い速読信奉者に与える鉄槌と言っても良いかもしれません。先程の引用文をもう一度読んでみましょう。

 私達が何かを読むときには、これまでになかった自分が蓄えてきた知識や情報、経験などの「ストック(蓄積)」を使って読んでいます。 

ここに全く未読の本があるとしましょう。周辺情報も何も知らされていません。著者の言い分ですと、そんな状態でフォトリーディングを使っても、本の理解は不可能ということになります。なぜなら、いくら無意識に転写しても、あるいは写真記憶的に暗記したとしても、読書というのは頭の中に蓄えられた知識と関連付けて、文脈や意味を理解していくというものです。

つまり、ストックがなければ、速読というより、その本を読むことが不可能となります。

冷静に考えれば分かることなんですけど、速読信奉者はこの現実に目を向けることができないんですね。

纏めましょう。本書における著者の主張はこうです。

「あまり意味のない速読テクニックなんかにすがるより、まずは普通に本を読め。そして知識経験をストックせよ。さすれば本は自ずと早く読めるようになる。」

まあそうなんだけど、速読本としてどうなんだ!と僕は見事に釣られました。

ここまで本末転倒なことを指摘してくれる著者が居たでしょうか。

この後、著者流の速読術「高速大量回転法」なるものが紹介されるわけですが、上記のプロセスをめっちゃ早くするだけというスパルタな内容になっています。興味があったら読んでみるといいですが、言っていることは同じです。地道にストックを作っていこう!という話ですからね。

繰り返しになりますが、

ある本を一瞬にして理解できるというような、都合の良い速読はこの世にありません。

もし本を早く読みたいならば、本をたくさん読みましょう。

今この記事を読んでいる方で、速読セミナーに何十万と使ってしまっている人がいて、「だんだん早く読めるようになっているのだから、速読は存在する」という主張をされる方がいたとします。でも、それはあなたが、どんな読み方であれ、ストックを少しずつ蓄積した結果です。

今すぐセミナーを解約して、その浮いたお金で本を買って読んだほうが、絶対にいいと思うのは、僕だけでは無いはずです。