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11冊目『ヒトの見方』/養老孟司

 

ヒトの見方 (ちくま文庫)

ヒトの見方 (ちくま文庫)

 

バカの壁』『唯脳論』の養老孟司による処女作とも呼ぶべきエッセイ集。もともとは1985年に『ヒトの見方-形態学の目から』というタイトルで、筑摩書房から単行本が出ていた。文庫化されたのは1991年であるから、結構古い本になる。初出が34年前、文庫化も28年前だ。

本書の内容は当時の解剖学の知見を使っているので、情報が更新されているかもしれないから、読むときにはそこだけ注意したい。そこさえ了承すれば、非常にエキサイティングな内容だし、文章の巧みさにしびれる。目次を追うだけで、読みたくなること請け合いだ。

「ヒトにはなぜヒゲがないのか」
「形態学からみた進化──進化の要因論と過程論」
「『真理は一つ』という誤解」
「トガリネズミからみた世界」
「われらがうちなる『虫』」 (目次より一部抜粋)

この本で個人的に面白かったのは、他の多くの読者同様、「ヒトにはなぜヒゲがないのか」である。目次を読んで、ここから読み始めた。僕はこの章を読んで初めて、毛には二種類あることを知った。

 毛には二つの種類がある。一つは通常の体毛で、もう一つはネコやネズミの顔でおなじみのヒゲである。このヒゲは、毛根に大きな静脈洞を持っているので、洞毛と名付けられる。洞毛の最大の特徴は、毛根に多数の神経線維(解剖学用語、繊維と同義)が入り込むことである。つまり、洞毛は明らかに感覚器官なのである。(p.127)

あなたはヒゲの仕組みについて想いをめぐらしたことがあったか。僕はついぞなかった。猫やアザラシのヒゲはセンサーであるということはなんとなく知っていた。しかし動物のヒゲと自分の顎やもみあげから生えてくるヒゲのちがいについて考えるという視点も無かった。書き出しからして面白そうと思ってこの章を読み切り、その後最初のページからもう一度一気に読んでしまった。

本章タイトルのヒゲとは、洞毛のことである。ヒトには洞毛が無い。あごひげは体毛に分類される。これは哺乳類全体から見ると、かなり珍しいことであるらしい。体毛がほとんどないクジラやハダカデバネズミにも、洞毛はある。猿にも洞毛が存在する。著者の言葉は既に借りまくっているが、さらに借りるなら、ヒトはさしずめ「ヒゲナシザル」である。

どうしてヒトに洞毛が無いか。著者は「洞毛の発生」という視点でこれを考察している。これは実際に読んで見て欲しいところ。生物学や形態学、解剖学なんて勉強していない僕からすると、要約するのも難しい。

ただ、全部投げ出してしまうと紹介にならないので、ざっくり内容をまとめることにする。この章では「洞毛が胎児ではどのように発生するか」「なぜヒトはヒゲナシザルか」「洞毛の消失と、進化の過程におけるヒトの顔かたちの変化との関連性」という3つに分けて論じている。この記事では長くなるので、2番目までを要約してお伝えしたい。しかし、乱暴に要約している部分もあるので、間違いもあるかもしれない。そこはご了承頂きたい。あくまでもこの本の面白さを伝えるための、精一杯の努力であると受け止めてくれると嬉しい。

「洞毛が胎児ではどのように発生するか」であるが、そもそも洞毛がどのようにして発生するのかということは、本書によればまだよくわかっていない。

著者は過去の研究から、「洞毛は神経堤由来の間葉に誘導され、上皮との相互作用で発生する」と仮説を立てる。神経堤とは、「神経版と、将来皮膚になる部分との中間の地帯(p.131)」である。間葉とは、別の言い方をすれば間充織のことだ。これは形成されつつある器官の間を埋める組織である。なぜ洞毛の発生元が、神経堤出身の間葉と言えるのかというのは、哺乳類では実証されていない。しかしトリや両生類の顔面の間葉は、主に神経堤由来のものであり、哺乳類も同じであれば、上記仮説も成り立つのではないかという考えである。すごく面白い。

ではなぜヒトには洞毛が発生し無いのか。

神経堤は外胚葉から生まれるものだが、発生してしばらくすると、頭部では中胚葉性の細胞と同じような働きをしはじめる。つまり、真皮や軟骨、骨などに分化していく。中胚葉性に変化した神経堤由来の間葉と、中胚葉由来の間葉との具体的な特徴のちがいについては解明されていない。なので、前者をある期間だけ洞毛を誘導する能力を持つと仮定する。

洞毛の発生を誘導する能力があっても、上皮がこれに従う力がなければ、洞毛は発生しない。もしくは、洞毛を発生させるに必要な時間留まっていられないと考えてもいい。本書によれば、マウスの場合は胎生14日にして洞毛の形成が終了するというから、間葉の洞毛誘導能力と、上皮がそれに従う期間が重なり合うのが14日間という考え方ができる。ヒトにはこれが重なる時期が無いために、洞毛が発生しないのではないかというわけだ。シロウトからすると、「おいおい仮定ばっかりだなぁ」と思ってしまったりするが、そういう発想や仮定をすること事態が、基礎的な研究には必要なのかもしれない。

文学畑の人が書くエッセイとは一味ちがう、知的好奇心をくすぐる情報を、ユーモアを交えながら書いていくスタイルはめっちゃカッコいい。あとがきには謙虚にも雑炊的な本になったとかいろいろ書いているけれども、それがいい所でもあると感じる。情報の正確さという点では、30年以上も前のものであるから保証はできないけれど、理科系の専門家ってどういうことを考えたり悩んだりしているのかということを、知識を取り込みながら読める1石n鳥(ただしnは2以上の自然数とする)な本だと思ったので紹介してみた。

理系エッセイ、他にも色々読んでみたい。数学苦手だけど。