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18冊目 『代替医療解剖』/サイモン・シン,エツァート・エンスルト

代替医療解剖 (新潮文庫)

代替医療解剖 (新潮文庫)

 

僕の好きなとある音楽家が、鍼灸師の世話になっているということを聴いて、鍼灸について調べている過程で発見した本。この本に目を通しておけば、自分が体調を崩したときに、怪しい治療法に引っかからずに済む。本書のタイトルである代替医療とは、簡単にいうと、「一般的な西洋医学ではないもの」だ。で、それは何かというと、本書の言葉を借りるなら、「主流派の医師の大半が受け入れていない治療法(P.11)」だ。

科学というものは再現性を求める。結果が良ければ全て良し、治療法として認めるべきであるというのは、科学的ではない。本書は鍼治療をはじめ、カイロプラクティックホメオパシー、ハーブ療法に主に焦点を当て、「根拠に基づく医療(エビデンスベースドメディシン)」かどうかを検証していく本だ。

結論から言ってしまうと、鍼治療、カイロプラクティックホメオパシーについてはプラセボ効果の領域を出ませんよということだ。プラセボ効果が何であるかは、説明しなくても分かる人が多いと思う。要は、気の持ちようや、医師との強い信頼関係が築き上げられていたりすると、ケロッと治ってしまったりする現象だ。

本書は長らく医療の常識であった瀉血(しゃけつ)を取り上げるところから入る。

瀉血とは、古代ギリシアからなんと十数世紀に渡って信じられてきた処置だ。「例えば、肝臓の病気なら右手の血管を切り、脾臓の病気なら左手の血管を切って(P.22)」というように、病気というのは血が淀むことによって起きるものであると信じられていた時代に採用されていた方法論だ。

本書によれば、ギリシア時代には、血液はカラダを循環し、脳に酸素を送り込むのに必要不可欠な体液であると知らなかった。このような誤った治療法が広まり続けた結果、失血死や免疫低下によると思われる疾病で、医者にかかったほうが早死するというケースが目立つ様になる。

しかし、瀉血は万能な病気の治療法だというのが、1800年代まで、本気で信じられていた。どれくらいまで本気で信じられていたかというと、瀉血用にヒルが流通しており、ヒル不足になる程度である。

そこに風穴を開けたのは、壊血病瀉血を行わず、レモンを摂取することで、つまりビタミンCで治すことができるということを、比較実験し、論文にまとめたジェイムズ・リンド、そして彼の研究を引き継いだギルバート・ブレーン、さらに瀉血によって死亡率が高まるということを発表した、アレクサンダー・ハミルトンだ。

彼らの科学的な比較と検証による再現性の高い医学的発見は、それまで血をドバドバと流させていた医療を変えるきっかけの一助となる。

彼らに共通するのは、「臨床試験」を行ったという点だ。これが一種の賭けであった医療を生まれ変わらせた。しかし、医療全般が「臨床試験によって得られた科学的根拠に基づく医療を重要視せよ」という潮流を本気で目指すきっかけになったのは、本書によると1992年のデーヴィット・サケット医師の提案からであるというから驚きだ。僕がまれた年じゃないか!かなりのタイムラグがある。

本書は代替医療臨床試験を行い、医療として役立てることができるのか?ということを啓蒙する書である。それと同時に面白いのは、ユニークな臨床試験方法や、そんなことまで医療として受け止めているものがあるのかと驚くような代替医療が存在することを知ることができる点だ。

鍼治療が一番最初に臨床試験によってその実態を暴かれる犠牲者だが、偽針と本物の針を施術者と患者が分からない状態で行う実験の結果、本当の針と効果がさほど変わらなかったということが明らかになる件などは、実にエキサイティング。

ホメオパシーは治療法自体がバカバカしくて面白い上に、それに真面目に臨床試験を行う医師の情熱もすごい。実はサイモン・シンの共著者であるエツァートル・エンスルトはもともとホメオパシー信奉者だった。彼の協力なくしては、現在でも一定層に信奉者の多いホメオパシーへの細微な記述はできなかったに違いない。

本書のメッセージは簡略化するとこういうことだ。

代替医療を信奉する人たちは、効けばよかろう!ということを言う。確かに一理ある。病気が治れば医師としての役割は終りだ。ただ、代替医療の宣伝文句として、「これでどんな病気も治る、防げる」というものが横行しがちであり、主流派の医療手段であれば、速やかに、安全に、安価で治せる病気も、治せなくなってしまう可能性が高い。この本はそういうことを警鐘してくれる優れた一冊だ。

もしも「科学的根拠に基づく医療」を信じたくない人は、瀉血の時代を思い出して欲しい。医者が人を善意でじわじわとなぶり殺すことになっていた時代の考えを引きずっていて果たして良いのだろうか。医療は、自分の心身を守るための手段だ。使える手数は多いほうが良い。そのとき、主流派の医療を使わない選択肢を取るというのは、きわめてリスキーであり、それを広める代替医療医師の社会的責任も大きいと、読後には思うことになるだろう。

読書の秋でもあるけれど、季節の変わり目で体調を崩しやすく、医療の世話になりがちな季節がまもなく到来する。どうか本書の視点「も」持ち、曇りなき眼で医療と向き合って欲しい。