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19冊目『からだの知恵:この不思議なはたらき』/W.B.キャノン

からだの知恵 この不思議なはたらき (講談社学術文庫)

からだの知恵 この不思議なはたらき (講談社学術文庫)

 

不確実な状態というものは人間を理性的で無い状態にさせる。不確定要素がたくさんある仕事についている人のほうが、精神的なストレスが多いだろうし、恋人がころころ変わる人の話を聞くと、いつまで遊び呆けているのだと思う。安定的、ということはすなわち、現在の状態が継続的に続くという意味合いで使われる。

これは生物の身体も同じだ。生物の身体が安定性というものが無くなってしまうと、細胞同士が離れ離れになってしまう。しかし生物と呼ばれるすべての生命体は、細胞同士がくっつきあい、その状態を維持しようとする。

人間の場合を考えると簡単(実は細胞同士の複雑なコミュニケーションが行われている)だ。怪我をすれば怪我をした箇所に血小板があつまってカサブタができるし、暑いと思ったら汗を書いて体温を冷やし、寒いと思ったらブルブルと筋肉を震えさせ、なんとかして平均体温に戻そうとする。これは僕たちが意識的にやっているのではなく、自動的なのだ。こうした均衡状態を保とうという働きを、「ホメオステーシス」と定義したのが、著者であるW.B.キャノンだ。彼の理論を一般向けに書いたのが、本書『からだの知恵』だ。

 生体の中で、安定した状態の主要な部分を保つ働きをしている、相互に関連した生理学的な作用は、非常に複雑であり、また独特なものなので──それらのなかには、脳とか神経とか心臓、肺、腎臓、脾臓が含まれ、すべてが共同してその作用を営んでいる──私はこのような状態に対して恒常状態(ホメオステーシス)という特別な用語を用いることを提案してきた。

 キャノンは生体への外的な刺激(怪我や出血、水の不足など)を通して、生命体には現状を維持しようとする働きがあることを、自身の研究や多くの先行研究から見出し、本書でそれを統合している。

 からだの内部環境の状態がはなはだしく変化することのないよう保証している、もっとも大切な目覚ましい仕組みは、刺激に感じやすく自動的にそれを標示する機構、あるいは見張りの役割をしている機構である。障害のごく初期に、この機構での働きで補正作用の活動が開始される。

 もしも水が不足すれば、血液になんらの変化が起こるまえに乾きの現象が警告を発し、それに応じて我々は水を飲む。血圧が下がり必要な酸素の供給が危うくなれば、頸動脈洞の精巧な神経末端は、血管運動中枢に信号を送り、血圧は上昇する。

僕らが現状をなるべく変えたくない──例えば僕は痩せたいと思っているけれど、なかなか痩せられない──のは、人間の思考のレベルにまで、こうしたホメオステーシスが働くからではないかとも思う。「内部環境」というのは身体内部の環境のことであって、思考とは脳神経細胞の伝達物質のやりとりであるから、もしかするともしかして、そういうこともあるかもしれない。

こうしたホメオステーシス(恒常性の維持)という考え方は、生理学を発端として、経済学、社会学現代思想におおきな影響を与えている。なるべく安定を求めて人々は行動し、それが脅かされることを恐れ、もし社会的基盤がひっくりかえるようなことが起きると、精神がおかしくなる。

恒常状態を、本書の次の箇所のように捉えると、様々な分野で応用が効く。

ある状態が安定であれば、それは、自動的に変化に対抗する──つまりはそれ以上の要素の効果が増すことにより、変化をもたらすような傾向がすべて打ち消されているためである 

安定とは、変化を打ち消すことだ。どおりで僕の体重が落ちないわけだ。痩せて格好良くなりたいという変化をもたらすような傾向が、すべて打ち消されるかのごとく、今、シュークリームを食べながらこの記事を書いているのだから。

僕の個人的な生活に至るまで応用可能なこの考え方は、多くの学問に影響を与えている。特に社会学系の本を読んでいるとよく出てくるけれど、もともとは生物の安定システムの用語だったということを知ったときには驚いた。

社会的生物は、自分のカラダの中で起きている恒常状態維持の機能を、無意識のうちに社会のルールとして投影しているのかもしれない。法律がまさにその代表で、不安定な社会にしないように、つまり変化をもたらすような傾向を排除するようにする。

この安定を乗り越えることで、人間は成長できるのかもしれない。ホメオステーシスとして規定されている現状を、少しずつより良くすることが、僕らが個人にも社会にもできる、「より良く生きる」という態度ではないかと、本書を読んで感じた。