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15冊目『インド仏教思想史』/三枝充悳

インド仏教思想史 (講談社学術文庫)

インド仏教思想史 (講談社学術文庫)

 

自分にとって一番馴染みの深いものが、実は全然思っていたのと違っていた!というとき、どんなふうな態度を取りますか?恥ずかしい?気持ち悪い?自分の無知が悔しい?

読書ってそういうことを繰り返すものですから、読書家って多分、ドMなんでしょうね~と思いつつ、さて馴染みの深いものって何かなあと本棚を探しておりましたら、そういや仏教ってそんな感じだよなあと。

宗教の世界というと、なんだか堅苦しくて怖いイメージがあります。そのとおり!という部分と、いやいや、意外とそうでもないという部分があります。

例えば、経典。開祖がいる世界の伝統宗教とされるキリスト教イスラム教、仏教などに共通するのは、開祖の教えを記している経典は、開祖自身が書いたものでは無い、という事です。聖書は、誤植や意図的な書き換えの量が半端じゃないことが、聖書研究によって明らかにされています。

書き換えられた聖書 (ちくま学芸文庫)

書き換えられた聖書 (ちくま学芸文庫)

 

仏教の場合はどうでしょうか。経典形成の経緯は以下のようになっています。

  もともとブッダは、場所に応じ、時期に応じ、話す相手に応じて語った(これを対機説法と述語化する)。しかもほとんどつねに対話であって、相手に多く語らせ、みずからは譬喩(ひゆ)を多く交えて答え、相手の理解を授けた。ブッダ自身、固定した一定の説教を演説したり講義したりしたものでもないし、特定の思想体系を樹立しようともしなかった。

(略)

 ゴータマ・ブッダ入滅のあと、マハー・カッサパは五百人の高弟を集めて、王舎城の郊外で、おのおのの記憶するところを述べあい、とくにアーナンダが『経蔵』を、ウパーリが『律蔵』を述べて、いわゆる聖典の結集を行った、と伝えられる。

つまり、釈迦はただ対話の中で、「悟りアドバイザー」としていろいろなことをアドバイスしていただけで、それを囲った弟子達が、名言語録的なものを最初に作ったのが最初であったということなんですね。Twitterで活躍するインフルエンサーの語録が書籍化されるのと感じと似てる気がします。怒られたくないので言っておきますけど、本気では言ってないですからね。

ところで仏教といえばお経と神秘的な雰囲気という感じですが、この本によると、仏教のはじめのはじめ、釈迦は現実主義者であったと書かれています。

しかしブッダは、人間の力を絶した創造者としての神のごとき、また祈禱・呪術・密法・魔力をもちいる神のごときを廃止し、また不可思議で超自然的なものも退けた(仏伝にあらわれるこれら神通のようなものは、おそらく後世の粉飾・付加であろう)

意外と知られていないことですが、釈迦は「神様いるんですかね」とか「死後の世界はどうなんですかね」という質問に対して、「そんなこと考えてても修行に役に立たないんで答えません」という態度を取っているんですね。コレに関しては、毒矢のたとえの話が有名です。悟り開くんだろ、修行しようぜ。それが仏教です。

これを仏教用語で「無記」と言います。仏教的な善悪に関係の無いことを、釈迦は説明しませんでした。

 ブッダの教えは、この現実においての苦しみを現実において解決しようとするものであった。その意味において、ブッダは初期仏教は、総じて仏教は、現実を直視し凝視する現実主義であった。

あくまで地上の人間として、苦しみを内に抱き、欲望に眼のくらむ人間でありながら、 その苦の消滅、欲望の超越を、この現実世界において実現し、しかも理想の境地であるニルヴァーナ(涅槃、安らぎ)を、天上のどこかに掲げるのではなくて、現実において獲得しようとするものである。

仏教というと、輪廻転生や業、極楽浄土という言葉が連想されます。生まれ変わりの思想は世界広く津々浦々に存在しまして、日本もその文化を受け入れている国の1つでしょう。しかし、そのような考え方は、実は初期の仏教には無く、むしろそうした穏やかな境地を、現実の世界で行おうとしたのが釈迦だったんですね。

こんなかんじで、仏教の変遷がざっくりと文庫サイズでお手軽に読めるエキサイティングな一冊です。おすすめ!