13冊目『思考の整理学』/外山滋比古
頭が良いというのはどういうことでしょうか。
知識をたくさん蓄えていることでしょうか。頭の回転が早いことでしょうか。
僕は、「頭の中の情報を整理することが上手なこと」かなと思うわけです。思考を整理できること、と言い換えることもできるかな。
これができるならば、この世のあらゆるカオスからパターンを見出したり、ある問題を解決したり、新しいアイディアをひらめくことができたりする確率ってのは上昇すると思うんです。
そう考えると、僕は本当に頭が悪いなあと思います。
情報を整理することが苦手です。
このブログや、僕のブログの本体である『点の記録』などは、その練習場であります。しかし、これがなかなか思ったようにいかんのです。なんとかならないかな、と本棚を眺めてみると、随分前に買った、外山滋比古著『思考の生理学』(筑摩書房)が目に入ったのです。
うーん、今の興味関心とぴったりだと。初読時にはあまり引っかからなかった本ですが、読み返してみると結構ヒントになることが書いてありました。
人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している。(P.13)
最近の教育界隈では、「アクティブ・ラーニング」なんてことが叫ばれております。雑に説明してしまうと、学習態度は成績に大きく影響する、とくに、受動的な学習ではなく、能動的な学習こそが、より学習成果を上昇させるのだ、という考え方ですね。
著者的に言い換えると、これは「飛行機能力」に該当しそうですな。
その後に、このように続けます。
グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。
しかし、現実には、グライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という”優秀な“人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人も"翔べる“という評価を受けているのである。 (P.13)
噛み砕いて表現するなら、受動的な学習も、能動的な学習も、どちらも大切ということでありますな。そこで、この本は何を目指しているかというと、
この本では、グライダー兼飛行機のような人間となるには、どういうこおを心がければよいかを考えたい。(P.15)
ということらしいです。
本書は学術書というよりも、エッセイの色が強いです。心理学や認知科学的エビデンスを纏めている昨今の勉強本とは一味違いまして、著者の主観や経験重視。それを元に思考というものの使い方について論じているのが、小気味よい。
欠点としては、節ごとに別々の独立している話題を扱っているように読めてしまいまして、何が言いたいのかわからない、はっきりしないという感覚におちいることもあるかなという点です。
でも、そんなときは、「グライダー兼飛行機人間となるにはどうするか?」という基本方針を思い出せば良いですね。
著者は本書の中で、現代、つまり執筆当時の1986年頃ですが、「受動的な学習態度のみで優秀だと評価される人ばかりになってきてる。それではあかん!」と批判しております。それは学校の教育の仕方がそうさせたと言っても過言ではなく、それは仕方がないとしながら、これからは受動と能動の上手な切り替えによって、飛行機能力も同時に養っていくべしと説くわけです。
今流行のDaiGoさんが書いた「超効率勉強法」という本を図書館で読んだんですけど、この本では「とにかく能動的であれ!アクティブラーニングこそ最強!」ということが書かれていました。その他の勉強術系の本にも同様のことはかなり書かれていて、流行りかもしれませんな。
しかし、先程の引用部分にもありますけれど、「独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない」というのは、オウム真理教事件などを彷彿とさせます。あの一連のムーブメントは、チベット密教やヨーガを独力で学んだ麻原とそれを囲ったインテリ達による暴走……と捉えてみると、著者の予言が当たったかもしれぬと思わざるを得ません。
しかし、何を持って正当、正道とするかは、能動的というか、批判的な視点で情報を捉える必要もあるわけで。特定の教授先生、思想、宗教の教えを鵜呑みにするだけでは、新しい視点や課題を生み出す力も身につかないわけで。そこのバランス感覚は、練習でしか身につかないと僕は思います。
思考には、グライダーも飛行機も、どちらも必要かもしれません。
というアタリマエのことに、本の力を必要としなければ気が付かない僕であります。
気が付かないよりもマシと信じて、グライダーと飛行機を上手に乗りこなす、思考のパイロットを目指していこうかと。道のりは険しい!